烏龍茶

ライフスタイルをシンプルに整える

シンプルな生き方を模索し、目の前の幸せを大切にしていきたい。そんな私の願望をブログにしました。ミニマリストを参考にしています。

服ってものは

自分の好きな服をひたすら着ると、好きなことを忘れる。そんな気がする。その段階までもっていきたい。

服には段階があるのではないか。

まず、好きな服を探す。

雑誌やTV、SNSを通じ、いいなと思える服を見つける。次に、実際に着てみる。

これは、買う人もいれば試着で済ます人もいるだろう。大体の人は試着だと思う。

実際に着てみた後は、自分のクローゼットやタンスに保管する。つまり、好きだと思った服をいつでも着られる状態にするということだ。

選択する権利を確保した、好きな服を自由に扱える状態。

次は、もう一度着る。意外と、この段階を乗り越えることが難しい。

買ったはいいが、あまり着ていない。そんな経験は誰にでもあるだろう。

買ったことで満たされてしまったのか、一度着て飽きてしまったのか、理由は良く分からない。

ここを超えて次に待っているのが、繰り返して着るという段階だ。

デザインがお気に入りである、素材の着心地がいいなど様々な理由で、もう一度着るという段階を乗り越えている。

自分の持っている服を思い返してみても、この段階まで達している服は少ない。

次が最終段階だ。

それは、着るために着る、という段階。

この段階は、デザイン、着心地、ブランド、そういった着る理由が排除され、自分にとって服を着ることは、この服を着ることである、というレベルまで昇華されている。

概念と言ってもいい。

朝に目を覚まし、洗面台で顔を洗い、テーブルで食事を摂り、出かけるためにこの服を着る。

服を選択する時間などない。

出かけるなら、服を着る。そのルールに、自分の好みや気分を差し挟まない。

「~だから」ではなく、「~のために」で着る。

服の扱い、概念が変化する段階だ。

「なぜこの服を持っているの?」という問いに対して、「着るために持っている」と答えられるのがこの段階であり、好きだったことなど忘れている。

スティーブジョブズが私服を制服化していた話は、ミニマリストの中では有名な話だが、この段階と似たようなものを感じる。

この段階まで持っていける服を持ちたい。

大体の場合で、繰り返して着るという段階が乗り越えられない。

似合ってるかな、流行に乗れているかな、というような不安を感じてしまうと、最終段階まではたどり着けない。

難しいものだ。

それぞれの段階を分かりやすくまとめると、以下のように出来る。

 

調査
雑誌やSNSなどから、好みの服を探す作業


試着
調査した服を、試してみる段階


所有
試着し、手に入れたいと思った服を、着るか着ないか選択出来る自由な状態にすること


実践
所有した服を、実際に着る


反復
実践した服を、様々な理由から繰り返し着ること


解脱
好きという思いも忘れて、服を着るためにその服を着る段階まで昇華されること

 

服の6段階。服を着る人は、日常からこれだけの段階を踏んで、服を考えている。解脱まではいかなくとも、反復まで昇華されている服は皆持っているだろう。

服に振り回されるのも、当たり前のように思える。

どれだけの種類の服が流通し流行しても、服というコンテンツを好きな人が絶えないのは、この深みにあるのかもしれない。

さて、服について変な考え方を展開してしまった。

書き終えてみて、「何言ってんだ俺」と思うところも、少なからずある。

でも、こんな感じで思考を落とし込むと、妄想も楽しくなってくるものだ。

無意味だったとは思わない。楽しかった。