烏龍茶

ライフスタイルをシンプルに整える

シンプルな生き方を模索し、目の前の幸せを大切にしていきたい。そんな私の願望をブログにしました。ミニマリストを参考にしています。

お気に入りの服を、一番着るべきだ

 

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お気に入りの洋服があるなら、それを毎日着るべきだ。

 

もったいつけずに、毎日、沢山着たほうがいい。

 

例えば、ちょっとした外出とか仕事とかに行くとき、(お気に入りの洋服だし、なんでもない日に着るのはちょっともったいないかな…)と思うことがあるとする。

 

私も、そういうことはよくある。

 

でも、なんでもない日だからこそ、お気に入りの洋服を着るべきだ。

 

お気に入りの洋服を着て、好きな自分を造って、なんでもない日もテンションあげて楽しんでしまえばいい。

 


失敗談というか、よく後悔することがある。

 

私は、ぴっちりとしたボトムスが好きだ。

 

具体的にいうと、スキニーテーパードのシルエットが一番好き。裾がきゅっとなっているのが良い。

 

だから、ストレートジーンズやワイドパンツはあまり好きじゃない。

 

しかし、私は足が太いため、スキニーパンツからの締め付けが強く、なかなかストレスがかかる。

 

特に、夕方になると足がむくんで、ふとももあたりがかなりきつくなってしまう。

 

だから、気合の入っていない外出や仕事では、締め付けの少ない楽なボトムを選ぶことが多い。スラックスのようなパンツや太めのジーパンなどだ。

 

でも、そういう日は大抵、後悔しながら1日を過ごすことになる。駅などの鏡に映る自分を見て、(今日、なんかダサいな…)と思ってしまう。

 

自分に自信も持てず、(やっぱりお気に入りの洋服にすればよかった…)という後悔でいっぱいになってしまい、冴えない1日になる

 

実は、この記事を書いている背景は、まさに今、自分がそんな日にだからだ。

 

お気に入りの服をもったいつけてしまい、あまり好きじゃない服を着て来てしまった。

 

 

お気に入りの服があるなら、それをたくさん着よう。

 

自分のことが好きになれる日をそうやって作ることが、幸せに近づくことだと思う。

 

服は本当にすごい。自分の気分を、簡単に上げてくれる。

 

毎日、洒落てて素敵な人は、きっと自分のことをちゃんと好きでいられてる人だ。

 

 

適当な日なんて、もったいない。

 

 

お気に入りの服を、一番着るべきだ。

 

 

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退職する1週間前に観た映画【グッドウィルハンティング/旅立ち】

離職経験がある。

 

上司が苦手で、すぐに辞めてしまった。

そのときは気持ち的にかなり参ってしまっていて、酷い精神状態だった。

 

私は、辛くなると映画を観る。

 

映画に勇気づけてもらうというか、映画に共感して自分自信の承認を得ようとする。自分に自信が持てなくなったとき、誰にも関わりたくないとき、映画に頼る。だから、自分の調子がいい時はあまり映画を観ない。私にとって映画とはそういうものだった。

 

どうしようもなく辛い、仕事を辞めたいけど、情けなくて誰にも相談できない。そう思っているときに、グッド・ウィル・ハンティング/旅立ちを観た。

 

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グッド・ウィル・ハンティング/旅立ちは、アメリカの映画だ。ガスヴァンサント監督。天才的な頭脳を持ちながら幼い頃に負ったトラウマから逃れられない一人の青年ウィルと、最愛の妻に先立たれて失意に喘ぐ心理学者ショーンとの心に交流を描いたヒューマンドラマだ。

 

とてもお勧めの映画。一番、心を揺さぶられた映画かもしれない

 

心理学者のショーンが「君は悪くない」というセリフを繰り返すシーンがあるのだが、このシーンがとても心に来る。

 

自分を肯定できない、肯定されることになれていないウィルは、傷つくことをひどく恐れている。だから、少しでも非難されれば狂ったように相手を否定しにかかり、そうすることで自己を承認しようとする。

 

だめでもいい、そう思えるかどうか。それが、自分を肯定するために必要だ。そう思えずに苦しんでいたウィルに、ダメだっていいんだ、君は悪くない、自分をそんなに責めるな、と諭すショーン。今まで素直になれず優しさを拒み続けてきたウィルも、このシーンでは泣き崩れショーンに本音を漏らしてしまう。ウィルが報われた瞬間のシーンだった。

 

私も、仕事で苦しんでいるとき、なんでこんなに弱いんだ自分は、と自分を責め続けていた。そんな時にこのシーンを観て、ウィルに共感し思わず泣いてしまった。

 

だめでいいんだ、弱くてもいいんだ、そう言ってもらえてるような気がした。ダメな自分を、少しだけだが、自分で受け入れることができた。

 

自分のことを肯定できずに苦しんでいる人は、きっとこの映画に救われると思う。

 

 

おやつは【カロリーメイト】一択

今週のお題「おやつ」

 

初めて今週のお題を活用します。

 

最近、説教臭く暗い記事ばかり書いていたので、明るく軽い記事が書きたくなりました。

 

今週のお題

 

おやつ

 

私がおやつに求めることは、主に4つ。

 

  • コンビニで買える
  • 108円以内
  • クッキーっぽい生地
  • 少しビタミンが摂れる

 

カロリーメイトしかないです。

 

4つの条件全て満たしている上に、美味い。しかも、2本も入ってる。

 

一本満足バーよりも満足出来ます。成人男性を一本で満足させるのは無理がある。

 

カロリーも200kcalと比較的ライトなのです。一本満足バーは一本なのに180kcal近くありますからね。

 

 

カロリーメイト食べながらこの記事を書きました。

仕事してきます。

 

 

 

 

ミニマリストも、お金と戦わなければいけない

 

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(引っ越したての私の部屋。1ヶ月ほどこの状態だった)

 

ミニマリストと聞くと、「節約家でお金は必要最低限あれば良いと考えてるんでしょう?」とイメージする人が多いのではないだろうか。

 

お金の概念から逃れ、人の価値を収入や資産で判断しない。お坊さんのような。

 

そのようなイメージの要因は、おそらくミニマリズムの先駆者、佐々木典士さんの影響が大きい。「ぼくたちに、もう物は必要ない」が大ヒットした。

 

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彼の部屋は本当に何もなく、洋服も同じものを着回しているそうだ。また、月に10万円あれば生きていけるとも発言している。

 

そんな彼からミニマリストをイメージすれば、お坊さんのようなイメージになるのも無理はない。

 

しかし、実際のところ、ミニマリストもお金からは逃れられないというのが私の考えだ。(佐々木さんがどんな考えなのかはあまり知らないので、佐々木さんを否定している訳ではありません)

 

まず、お金というから概念から抜け出す方法として、ミニマリズムは適切なのだろうか。(ミニマリズムによってお金から解放されたいと考えていない人は別だ)

 

例えば、人間の価値はお金じゃない、お金に縛られたくない!そう考えたい人が、ミニマリズムによって最小限の暮らしを発見し、その人にとってのお金の価値が下がったとする。そんな人は、ミニマリズムのおかげでお金に縛られなくなったように見えるだろう。しかし、実際のところ、どれだけ生活をミニマムにしてもお金はかかる。お金から完全に抜け出すことためには、お金の存在しない世界に行く以外にない。

 

生活をミニマムにするほどお金がかからなくはなるが、そこで「お金がかからなくなった!」と考えてしまっては、お金に縛られている証拠だ

 

お金に縛られないためには、
1. お金のない世界に行く
2. お金を手に入れる
この二つの方法がある。

 

ミニマリズムは、一見すると1寄りの考え方に思える。お金に寄らない幸せを追求する、お金を遠ざける、そんなイメージがあるため、多くの人は2ではなく、1に近い考え方だと思っているのではないだろうか。

 

しかし、前述したとおり、どれだけ生活をミニマムにしても1は実現しない。近づくほど、限界がはっきりと見えてきて実現しない苦しみが深くなってしまう。

 

だから、私は、2のほうがミニマリズムを活用するうえで必要な考え方なのではないかと思う。

 

ミニマリストがお金から解放されるためには、お金に悩まされないだけの収入を得ることが、一番の近道ではないだろうか。

 

いくらあれば悩まずに済むのかは人それぞれであるため、明確な数字は存在しない。20万円で満足する人もいれば、1000万円でも満足出来ない人もいるだろう。佐々木さんは月に10万円あれば生きてはいけるという。佐々木さんにとってのお金に悩まされないだけの収入とは、月収10万円なのかもしれない。

 

私も、生活をミニマムにしてみて、確かに支出は減った。しかし、ミニマリズムによってお金を遠ざけようとした結果、支出が減ったのであり、むしろ遠ざけようと意識し過ぎて、お金の存在感というものが大きくなってしまっていることに気が付いた。いつのまにか、お金にガッツリ縛られてしまっていた。

 

お金に悩まされるのが嫌だ、最低限の生活で素朴に暮らしていきたい、そのような望みを持ち、ミニマリズムに期待を持った人。要注意だ。ミニマリストも、お金と戦わないことはできない。むしろ、私のように意識しすぎて、お金が自分のど真ん中に居座ってくるかもしれない。世間一般の人がお金と戦うように、ミニマリストもお金と戦うべきだ。そのほうが、お金に縛られない素朴な暮らしに近づくかもしれない。

 

ミニマリズムを勘違いして、物を減らしたら幸せを見失った

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ミニマリズムとは、本当に必要な物を見極めることで持ち物を最小限に抑え、自分なりの幸せを追求しようとする考え方だと思っている。

ミニマリズムと聞くと、断捨離や物を減らすイメージが先行しがちだが、考えた結果、物が減る場合と物が増える場合がある。

必要だと思えれば残すし、欲しいと思えば買う。もちろん、必要ないと判断すれば捨てる。

しかし、ミニマリズムの深みにはまると、ミニマリズムのとらえ方を見失ってしまうことがある。

それは、物を減らすことがミニマリズムだと勘違いしてしまうことだ。

物を減らすことが目的になってしまい、自分なりの幸せを追求するという目的を忘れてしまう。

物を減らすことは手段であって目的ではない。

では、物を減らすことが目的になってしまうとどうなるのか。

自分なりの幸せを追求するという目的と真逆の、幸せを見失うという弊害が生まれてしまう。

物から得られる幸せや幸福感はとても分かりやすい。

洋服やアクセサリー、雑貨など、形として手に残るため、手に入れたという幸福感を感じやすいからだ。

そういった物たちをミニマリズムに従って減らしていくと、自分にとって本当に必要な物だけが残るわけだが、その過程で問題が発生する。

物を減らそうとするあまり、これは私を幸せにしてくれる物なのか、私の幸せにこれは必要なのかと、考えすぎてしまうという問題だ。

また、幸せになるために物を減らしたのに、物を減らしたら自分がどんな人間か分からなくなったという問題も起こり得る。

しっかりと葛藤した上で、判断することは大切だ。しかし、やり過ぎれば上記のようにその葛藤に苦しめられることになる。

私も、一時、ミニマリズムの捉え方を間違えてしまい、この問題に苦しんだ。

どれだけ物を減らせるかに執着してしまい、自分にとって大切な物まで「これは本当に必要なのか?」と葛藤してしまった。

そして、物を減らし過ぎた。大切な物をまで減らしたせいで、自分が分からなくなってしまった。

思うに、自分の本質と向き合うことは疲れるんだと思う。物を減らし自分の本質と向き合うと、自己を確立させなきゃいけないみたいな使命感が襲ってくる。だから葛藤するわけだが、これが非常に疲れる。

だから、分かりやすい幸福に頼るのも必要だと思う。物質的な幸せは簡単だし分かりやすい。

無理に減らすのも、無理に物を増やさないようにするのも、やめよう。無理は続かない。たまには、本能に任せて物を買ってしまおう。後で、本当に必要だったのかな?と考えることになったとしても、その時幸せだったならばそれで良い。そうやって肯定してあげよう。

ミニマリズムの深みにハマり、疲れてしまったとき、そう考えると気持ちが楽になった。

同じような悩みを抱えたミニマリストもいるのではないかと思う。

ミニマリズムは最小限主義と訳せるが、何が自分にとっての最小限か、悩み過ぎには注意が必要だ。

ミニマリズムを参考するならば、所有することを否定するネガティヴなやり方ではなく、大切な物を所有したいというポジティブな意識を先行させるべきだと思う。

好きなことを仕事にすべきなのか?

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好きなことを仕事にすべきだ。

一度しかない人生、自分のやりたいようにやるべきだ。

そのようなことを言う人がいる。

ネットビジネスをしている人やベンチャー企業で働いている人が食い気味に言ってくるイメージだ。


どうなんだろうか?


そのように言われて、確かにそうだと思う反面、賛成しきれない気持ちがある。

自分を振り返ってみる。確かに、今の仕事は自分の好きなことではない。苦痛に感じる時も多いし、辞めようかなと思う瞬間だってある。

違う仕事のほうが向いているんじゃないか、もっと楽で楽しくてやりがいのある仕事があるんじゃないか、そう考えてしまい、なかなか眠れない夜もある。


ただ、だからと言って好きなことを仕事にすれば今抱えている悩みが解消されるのだろうか。

そして、仕事にしたいと思えるほど、情熱的に好きと言えることが自分にあるのだろうか


こんな話を聞いたことがある。

「もともと何かが優れていたわけではない。好きになる才能があったからこそ、ここまでやってこれた」


この話を聞いて、納得した。

苦痛を苦痛と思わない才能。スポーツ選手やミュージシャンに備わっている印象だ。普通の人なら辛いことも、好きゆえに辛くない。

ということは、まず、好きになる才能がないといけない。

次に、その好きを仕事にする。

その過程があってこそ、好きなことを仕事にすべきという意見が成立するのではないか。

好きなことがあるなら、嫌いなことや嫌なことは避けたほうがいい。納得できる。

正論だし、その通りだ。

しかし、好きなことが明確であることと、好きなことを仕事にできるということをなんとかしないと、実践できない。

そして、その2つはなかなか解決できない。やりたくないことは明確だけど、やりたいことは不明瞭。好きなことはあるけど、就職できない、自分の環境では実現不可能。そんな人が大半だ。

そんな人に向けて、好きを仕事にすべきだと、安易には言えないと思う。


好きを仕事にする努力よりも、いかに仕事のストレスを減らすかのほうが、検討する価値があるのではないか。好きなことを仕事にする、そんなフレーズを聞いた時に、そんな考えが浮かんだ。

そんなに丁寧なサービス、必要?

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日本のサービスについて

日本のサービスは、海外に比べて高い水準にあるといわれている。例えば、映画でよく見るアメリカのコンビニのシーンでは、従業員は椅子に座っていたり従業員同士でおしゃべりをしていたりする。日本の映画で、コンビニの従業員がそのような様子のシーンは思い浮かばない。従業員は座らない、従業員同士でのおしゃべりは原則禁止、それが日本でのサービス業における常識だからだろう。それは、お客様は神様であり、従業員は完全に下であるという精神が理由だと思う。来ていただいた神様の前で、椅子に座ったりおしゃべりするなど失礼である。そんな精神を、会社は従業員に刷り込む。


確かに、利用者からすればサービスは良いほうがいいに決まっている。サービスのいいほうを利用したいと思うだろう。会社も、サービスにより満足度を向上させ集客を狙っている。サービスを徹底すれば、利用者も会社も良いことづくめだ。しかも、サービスはお金がかからない。だから会社は従業員にサービスを徹底する。


しかし、従業員の負担はどうなるのだろうか。サービスはお金が発生しない。サービスのいい従業員が多く給料をもらえるのだろうか。サービスに特化した職業でなければ、サービスに給与は払われないだろう。お金をもらえないのに、会社から強要されれば、もちろん従業員の不満は溜まり、負担が増える。従業員の負担を考えれば、サービスの水準は高くなくていいと思う。


日本のサービスの水準がSランクだとしたら、Bランクくらいまで下げていいのではないか。そもそも、利用者は高水準のサービスを求めているのだろうか。たいていの利用者は、目的のものを買うことが出来ればそれでいいと思っていると思う。不快な気持ちにさえさせられなければ、機会があれば次も利用する。(あまりにも無愛想だったり失礼な態度は困る)別におしゃべりしてても良いし、座っていても良い。お会計さえしてくれれば。


たまにいるクレーマーのために、高い水準を維持しようとしているから、従業員が疲弊するし、さらにクレーマーが増える。100人の利用者中、常識はずれな人は5人くらいだとすると、その5人のために普通の利用者95人分、高い水準のサービスを提供させられる。


ミニマリズムに絡めると、サービス次第で購入するか否かが揺れるようなら、おそらくそれは必要のないものだ。必要な物のために利用しているわけで、正直サービスなんて気にしていない。むしろ、丁寧にサービスされると面倒くさい。必要だったりやってほしいことがあれば、利用者から言えばいい。「お箸はお付けしますか?」このセリフ、本当に要らないと思う。このセリフがあるから、「さっき箸使うか聞かれなかった」と言い出す利用者が現れる。箸が欲しかったら自分から言え!そう思ってしまう。


丁寧なサービスを否定したいわけではない。大げさに利用者を持ち上げることを否定している。利用者も従業員も、互いに同じくらい尊重し合うのがベストではないか。今の日本は、明らかに利用者のほうが尊重されていると思う。