ライフスタイルをシンプルに整える

ライフスタイルをシンプルに整える

ミニマリスト。健康や美容、サブカルチャーについて綴っています。生き方はシンプルに、考え方はコンプレックス混じりで。

好きなアーティストのインタビューやTwitterは見たくない

私は、好きなアーティストとの距離感がいまいち掴めないでいるのかも知れない。

 

例えば、好きなアーティストが何かの作品にタイアップしたときに、インタビューを受けたとする。

 

そして、そのことをネットニュースのタイトルだけで知る。

 

その時点では「おっ、あの作品の主題歌を歌うんだ。どんな感じになるんだろう」とワクワクするのだが、インタビューは見たくないのだ。

 

インタビューを見たら残念な気持ちになるんじゃないかと恐れてる。

 

ワクワクしてる時点で期待が最高潮だから、その後は特に情報を入れ込みたくない心理が背景に存在する。最高からは下がるしかないし。

 

昔からそうで、アーティストの作品を凄く好きなときは、作品以外のアーティスト情報をシャットダウンしようとする癖がある。

 

もちろん、「歌だけ歌っててくれ」というつもりは一切無い。

 

アーティストの育った環境や活動に至るまでの経緯などを掘り下げることは好きだ。

 

それらは事実だから特に色眼鏡を掛けずに見ていられる。

 

でも、インタビューやTwitterなどのような、アーティストの思想や主義が色濃く反映されるものは、作品の見方を変えてしまう恐れがあるのでので覗くのが怖い。

 

思想や主義に共感できれば良いけど、微妙だなーと思ったら、その気持ちが作品の受け取り方にまで影響する。

 

例えば、あのアーティストは政治参画へ積極的という事柄だけを知ることは作品の見方に影響を与えないのだけど、そのアーティストの政治に対する意見や考え方を知ってしまうと、作品の見方が大きく変わってしまう。そんな感じだ。

 

保守的な考え方かも知れない。変化を恐れているわけだし。

 

「アーティストの主義や主張が作品に込められている訳であって、その作品が生まれたバックボーンを無視して作品のみを楽しむことは、アーティストに対して失礼だ!」と考える人もいると思う。

 

その側面もある。作品の楽しみ方やファンとしての在り方なんて人それぞれだけど、やはりアーティストの想いを感じ取ってこそ、アーティストが報われる。

 

私自身もそんな思いを持っているから、「ただ歌っててくれ」とは言えない。だから距離感が掴めないでいる。

 

事実は不変だけど、その事実に対する思想や主義は十人十色で千差万別だ。

 

だから、思想や主義に触れるのは気安くやって良いことじゃない。自らにどんな反応を引き起こすか分からない。

 

その反応こそ人生の醍醐味という人もいるけど、私はとても保守的な人間だからよく考えてからじゃないと、怖くてできない。

 

ついさっき、好きなアーティストがインタビューを受けたニュースが流れてきた。

 

もちろん、そのインタビューは見なかった。

欲望に素直な人について考えてみた 求めよ、さらば与えられん

単純な話、欲望に素直なやつが、欲望を叶えるんだなって思った

 

求めよ、さらば与えられん」って聞いたことがあるけど、本当にその通りなのかも知れない

 

この言葉、新約聖書のイエスの言葉らしい

 

でもこの言葉、「我儘だとしても求め続けなさい、そうすれば与えよう」って解釈は間違いだそうだ

 

正しい解釈は、「あなたが、自分自身や自分の周りの人たちを幸せにするために、何かを求め続けるなら、神はきっとこたえてくれるでしょう」という意味らしい

 

我儘を言い続ければ叶えてくれるわけではないみたい

 

自分も周りの人たちも幸せになれるような願いは持ってない気がするけど、周りの人を不幸にしてまで叶えたいと思う願いもない

 

そういう意味では、自分も良い人間なのも知れないと思った

 

夢は凄い現実的で、幸福なんか与えてくれない

夢を持つことが幸せ?

 

夢を持とう、夢に向かって努力することは素晴らしい。

 

そんなキャッチフレーズをよく目にする。

 

このキャッチフレーズを見るたびに、夢を持つことが幸福であり、絶対的に良いことだと植えつけられているような気がする。

 

夢を持つことは推奨されるべきことなのかな?

 

私は、夢とは個人が勝手に持つものであって他者から推奨されて持つものではないと思う。

 

加えて、個人が勝手に持つというのも、持とうとして持つのではなく、その目標を達成せずには満たされない状態に、気がつかないうちに陥るものだと思う。

 

だから、夢を持つことは、満たされない状態でもがき続けることと同義になるんじゃないかな。

 

オリンピックで金メダルを獲りたい、世界という舞台で戦いたい。

 

そんな夢を持っている人たちは、夢に向かってもがき続けているのかも知れない。

 

「なんでこんな夢を持ってしまったんだろう、こんなに苦しいなら夢なんて持たなければよかった」

 

そう思う瞬間も、きっとあると思う。

 

だから、実際に夢を持って努力を重ねている人は、簡単に「夢を持て」とは言いたくないんじゃないかな。

 

夢を持つことは、もがいて苦しむことだから。

 

しかも、叶うとは限らない。

 

夢を持ったことで得たものも沢山あると思う。

 

仲間を得たり、多くの経験を積むことができたり。

 

でもそれはあくまでも副次的なものであって、それそのものは夢じゃない。

 

夢を追っていた結果、いつの間にか付いてきたもの。

 

夢を追うことそのものは、叶うまで満たされない状態が続く苦しみを与えるだけで、仮に夢が叶い満たされたとしても、それは一瞬のうちに過ぎ去るのかも知れない。

 

そう考えると、夢を持つことは怖いなって思う。

 

夢を持った瞬間に、叶うまで満たされない苦しみがスタートするってことだしね。

 

夢を、人生の幸福の手段のように扱ってはいけないと思う。

 

夢そのものは幸福を与えてくれないし、その言葉の響に反して、夢は凄く現実的。

 

持っていない方がむしろ幸せなのかも知れない。

0点でいいやと思う人が増えている

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(写真と今回の話は何も関係ありません)

 

0点でいいやと思う人が増えている

 

最近の話です。

 

積極的にプラスを狙うことで、 マイナスになるリスクが発生するなら、 ゼロ点のままでいいやと思う人が 増えているように感じます。

 

抽象的なので、 いくつか具体例を出してみます。

 

具体例その1:仕事

 

[会議が開かれたが、意見を出さない。 もしくは、当たり障りのない意見しか出さない]

 

会議で意見を発表し、上手くいけば会社からの評価が上がり、プラスになる。

 

でも、それに伴う残業やプレッシャーといった マイナスのリスクが大きく感じる。

 

だから、意見を出さずにやり過ごす、もしくは当たり障りのない意見のみ発表する。

 

具体例その2:恋愛

 

[クラスに好きな人がいるが、話しかけない]

 

本当は話したいし、出来れば付き合いたいと 思っているけど、上手く話せなかった場合のリスクが怖くて話しかけられない。

 

上手く話せれば、恋愛が発展するけど、 相手人つまらない顔をされたり、 話が盛り上がらなかった場合、現状よりも 相手からの評価が下がってしまうリスクがある。

 

だから、0点のまま=現状維持でいいやと思う。

 

 

具体例その3:電車

 

[お年寄りが乗車してきたけど、 「どうぞ座ってください」と言わない]

 

本当は譲るべきだと考えているけど、 「もし断られたらどうしよう」 「声をかけるタイミングが他の人と 重なってしまったらどうしよう」 という不安から、「どうぞ座ってください」と言えない。

 

また、妙に恥ずかしい思いをするリスクがあるため、 それなら何もしない=0点でいいやと思ってしまう。

 

 

なんで増えているのか?

 

おそらく、マイナスのリスクが大きいからです。 目立つ人は、色々と批評されます。

 

何もしなければ、批評によって傷つくこともありませんので、 0点でいいやと思うことも、納得がいきます。

 

仕事では多いです。特に、仕事においては顕著に現れると思います。 マイナスのリスクが大きすぎるんですよ。

 

残業」「プレッシャー」によってプライベートが犠牲になるリスクがあります。 そんな大きなリスクを背負ってまで、 チャレンジしたいと思う人は少ないでしょう。

 

プラスのメリットが小さいことも、 チャレンジしたい人が少ない原因だと思います。

 

チャレンジしたからといって、給与が 一気に増えるわけでもありません。

 

現状維持でも、別に減給されないんですから、 それならほどほどに済ませようと思うのは当然です。

 

まとめ

 

仕事をするうえで、チャレンジ精神=能動性を求めるなら それに伴うリスクを少しでも小さくする仕組みがあると嬉しいですね。

 

やったら損する、と思ってしまうのは、 思ってしまう側だけの責任ではないと思います。

 

「やるって言ったんだから、やれよ」なんて 言われたら、能動性は低下し義務になってしまいますよ。

 

義務化されて生み出されるものに、 独創性を求めるのは酷な話です。

 

 

足るを知ること ミニマリストの思想

足るを知り、誰かのために生きる。

 

そこに幸せがある。

 

無為自然に生き、 自己の良心に従って暮らす。

 

大切なのは、自己中心的にならず、 広い目で自然と同化すること。

 

勉強は大切だ。

 

何かを学ぶこと。

 

何でもいい、数学でも国語でも哲学でも。

 

音楽や娯楽でも良い。

 

学ぶことには2つの いいことがある。

 

1つは、知識や知恵がつくこと。

 

2つ目は、学ぶことそのものが、人間に とっては快楽であること。

 

学ぶのは気持ちがいい。

 

できることなら、学んだあとは何かを作る。

 

触れるものでもいいし、誰かと話したり、 教えたりでもいい。

 

育んだ知識や技術を、 他人と触れ合わせるといい。

 

それが誰かのために生きることであり、自分のためになる。

 

でも、押し付けてはいけない。

 

足るを知り、誰かのために生き、自然の流れの中で自己の良心に従って暮らすことは、流れの速い現代では難しいかもしれない。

 

それでも、そう思って生きることはできる。

 

心の在り方を決めるのは、時代ではなく、 自分だから

 

慢心はダメね